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隆章山房から「登山紀行」「巡拝紀行」「時事評論」「スケッチ紀行」を連載します。ご笑覧下さい
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           「季節よ 城よ」 
           -07穂高登頂記-      

                   ああ 季節よ   城よ                  
               無垢な魂(こころ)
はどこにある?                 
                          -A.ランボー(小林秀雄訳)-              
                   
O Saisons! O Chateau!
                        Quelle ame est sans defauts? 
                                      -A.Rimbaud-
  
           涸沢カールと穂高連峰-隆章山人拙画-             

                  

                
プロローグ-精米行脚-
     06夏の飯豊山(いいでさん)で自信をつけ、ビギナー改め
     「中級」を自称する隆章だが、今回目指すは北ア最高峰
     国内第三位峰とあって、昨夏の飯豊山行後新調したダ
     ブル・ストックだけでは不安を感じたのか、精米行脚(あん
      ぎゃ)
と銘打って、玄米15㎏を背負い広港までの片道3㎞
     を往復する脚力鍛錬(たんれん)に出る。
 

                      台風暗雲

 07年7月13日夕、4号台風接近下の雨、新大阪駅前バスターミナルで再会したベテランKと「中級」隆章は夜行バス「さわやか信州号」に乗車。4列シートの車内は、解約多いせいか空席目立つ。
 14日払暁
(ふつぎょう)、乗客は沢渡(さわんど)で環境対策ハイブリッドバスに乗換えて、広く対面通行となった新釜トンネルを抜け、6時上高地バスセンター着。東京からのベテランNと合流、朝食を摂(と)る。
   

                       小雨決行
 天候不良だが、とりあえず横尾山荘まで進み状況判断しようと6時半出発。
     梓川左岸       河童橋
(芥川龍之介縁ゆかり「かっぱばし」、Nによれば母校都立両国高校の前身府立三中は作家の出身校で大先輩になるという)から梓(あずさがわ)沿いに明神池へ寄り、徳沢を過ぎ、10時横尾着。
隆章、昨夏の痛恨の教訓から、下調べ済みの山荘の電話で自宅へ急用有無
                        を確認)

                韓流席巻

 横尾山荘で早い昼食中、韓流(ハンりゅう)登山グループ20~30名に遭遇、賑(にぎ)やかなハングル会話はわからぬが「ヤリ」の発音から槍ヶ岳を目指すツアーと知れる。一行中の人懐(なつ)っこい紅二点にせがまれKがチョコを進呈すると、「カムサハムニダ」の笑顔。
 小雨の中、陽気に「槍」に向かう韓流御一行と別れ、KN&隆章(ベテラン&自称中級)トリオ10時半横尾出発、梓川支流に沿い、屏風岩(びょうぶいわ)断崖を増水した滝が流れ落ちる絶景を左手に見ながらブナ林を行く。
 本谷吊橋
(つりばし)を渡ると、     本谷吊り橋   
いよいよ急登の岩道、標高差数百mに喘
(あえ)ぐ隆章、「飯豊(いいで)に比べれば」と己(おのれ)に言い聞かせる。
 カール下雪渓に刻まれたステップを登り、午後2時半、涸沢
(からさわ)ヒュッテ着。 
   涸沢ヒュッテ下雪渓   テントサイトは一面残雪厚く、雨模様とあって一基のテントも見えぬ。トリオも持参テント設営を断念、自炊泊(6千円)を申し込み、湿気た靴・ウエアストーブに干す。Nお勧めヒュッテ名物生ジョッキで乾杯して、夕食準備。ヒュッテの自炊棟も同宿者少なく、7人用部屋に3人で泊まる。


                    幻のパノラマ

 15日朝8時、風も出て悩ましいが、尾根の穂高山荘目指し出発。雪渓はアイゼン装着で、ザイテングラードの岩場は外して進む。
 残雪深い斜面を慎重に渡り肩に出ると、雨風強まり山荘全景も五里霧中
(ごりむちゅう)で定かならず。N手作りサンドと山荘ビールで腹拵(はらごしらえ)し山頂の様子を聞く。
 山荘情報でアタック可と判断、 念願の奥穂頂上も眺望ゼロ
ガスで霞む岩場の梯子
(はしご)を直登し、横風吹く岩尾根は身を屈(かが)め、1235分ついに奥穂高岳山頂3190mに立つ。
 辛
(かろ)うじて写真は写るが眺望皆無、360パノラマは雲霧(ガス)の彼方に幻と消える。
カール奈落に霞むヒュッテの赤屋根 々に下山、山荘で休憩後、ガス湧き上がる暗鬱(あんうつ)な擂鉢(すりばち)カールを意気は揚々と、奈落(ならく)の赤いヒュッテ目指し快適に下る。
 涸沢小屋まで下ると新手の韓流団体が続々と到着し、ヒュッテにも声高な
ハン
                    グル
会話が飛び交う。

           初の御来光      初の御来光 
 
16日朝、三日間で初の御来光を拝し、振り仰ぐと雲の切れた蒼天に穂高の峰々(北穂、涸沢そして登頂した奥穂高岳)が朝日を浴びて聳(そび)える。
7時ヒュッテ出発、小屋の若いスタッフが草刈り機を手に韋駄天
    朝日に映える涸沢岳    
(いだてん)の如く雪渓斜面を走り下って追い抜いて行く。
 横尾へ下る途中、件
(くだん)の韓流女性二人が登ってくるのとすれ違い、「ヤリ?」「ヤリ!」の会話(?)で「槍」から折り返しの穂高行と了解、KN隆章トリオ、韓流パワー(おそ)るべしと再確認。

             
エピローグ大地震(ふる) 
 帰路の横尾山荘は、韓流旋風一過、夏山シーズンにしては閑散。徳沢小屋へ速歩中のトリオ、中越沖地震に気づかず。
 12時過ぎ上高地帰着。透     清水川畔の鳥兜
      
明な清水川畔(ほとり)に鳥兜(とりかぶと)の清楚な紫碧(しへき)色を見る。
 足を延ばし、ウエストン顕彰(けんしょう)摩崖碑(まがいひ)に表敬後、Kお勧め上高地温泉に立ち寄る。露天源泉に浸かった後の身体に缶ビールが染みる
 松本駅へタクシー(運転手は九州出身山男、山登りに便利な信州に転居したといい、大雪のヒグマ恐怖譚等山談義に花咲く)で滑り込むが、ホームへ急ぐ途中、余震で駅舎が揺れたのにKが気付く。特急は8分遅れ発車後徐行。
 名古屋発「のぞみ」、京都でK下車。新大阪発急行は超満員、乗客の非常ボタン接触で緊急停車のハプニングあるも、21:50無事紀州帰還。


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         「兵(つわもの)どもが夢の跡」
           ー08八ヶ岳登頂記ー
    
  
             國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心
           
烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪- 
     (
国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じては花も涙を濺ぎ
       別れを恨んでは鳥も心を驚かす 烽火三月に連なり 家書萬金に抵る
       白頭掻けば更に短く 渾に簪に勝えざらんと欲す   『春望』杜甫

              北八ヶ岳天狗岳への尾根
                   

                         還暦デビュプロローグ
    08年3月末の北八ヶ岳行、山上「春は名のみ」の残雪深く時に
   零下十数度、冬山登山靴&十本爪アイゼン必携。
   例の如く「精米行脚」もこなした不肖山人だが、今回、直前の春
      彼岸に還暦過ぎ「説教師デビュー」の機会を得て、3/17~23の
   7日間地元16会所を巡るも、この「説教マラソン」は一度出れば
   途中棄権は許されぬとあって、その首尾や如何に?
   又山荘の夜に試練のハプニングが待ち受けるとは仏のみぞ知る

                   二重八文字結
 3/30日阿倍野から夜行バスに乗車した隆章、京都でKと合流、翌29日早朝中央道小淵沢下車、徒歩で茅野駅へ向かう。新宿から特急でNが到着、タクシーで登山口渋温泉へ。
 積雪の樹林を登る途中アイゼン装着、靴裏全面着地ステップに足を慣らす。
        ヒュッテアンザイレン練習
 黒百合ヒュッテ到着後、用意周到のNが持参のザイルを使い、ダブル・エイト・ノット(二重八文字結)ブルージック結び、ハーネスカラビナ装着等のロープワーク基本技術を伝授。
 早速ヒュッテ前の雪斜面に出て
アンザイレン(ザイル取付)練習。全体重をかけた模擬滑落で、ブルージック結びの威力を体感。

           
氷点下天狗岳
 30早朝4:30気温マイナ12℃、ヘッドランプ着けヒュッ
   朝焼けの頂上直下   
出発樹林の中山峠2496を越え、雪庇の尾根は慎重にアイゼンを効かす。朝焼け空に足を止めるとダウンを通して寒気が凍みる。頂上直下の積雪岩場斜面を先導のアンザイレンで登攀。
     南八ヶ岳岩稜遠望
 :10北八ヶ岳最高峰天狗岳2646頂上に立つ。
 
:30ヒュッテ帰還。
 
「積雪期登頂は立派」
  隆章「自称なし中級
OK?」
 
(笑って答えず。今後の縦走次第か?!
           雪中縦走呻吟
 ヒュッテを後に中山峠を過ぎ右にニュウの岸壁を見ながら尾
   
樹海に浮かぶ凍結白駒池    根筋を進み、高見石に登れば凍結冠雪の白駒池が樹海に白く浮かぶ。
 丸山
2330を越え麦草峠への縦走路、登り雪面でアイゼン捌きに難渋する隆章の足は滞りがち、この様子を懸念した
「大石峠の先、茶臼山越えで行くか、巻いて傾斜の緩い迂回路を行くか?」と提起。         三人は結局、最短直登
      力尽きた茶臼山越え
ートを選択するが、隆章の誤算は、茶臼山2384を最後のピークと思い込み単調で急な登りで体力を消耗したこと、下り斜面は時に愉快な尻餅滑降(グリセード)あれど、第三の縞枯山2403越えに呻吟して這々の体で山荘へ入る。
          山上「釈迦説法」 
 縞枯山荘夕食時、三人が偶々「鳩居堂」(京都寺町)を話題にした所、耳にした同宿の中高年団体から突然質問を受ける。一行は奇遇にも当の京都から来た山友(遊?)会の面々で、喜んで熊谷直実末裔鳩居堂由来を解説した隆章、中に京都検定合格ボランティアガイドもいると聞いて、これぞ「釈迦に説法」の新境地也と独白。
 夕食後、外は雪、一緒に山荘の炬燵を囲む御一行から、今度は即席法話の要望があるとに勧められた隆章、一週間前辛くも「完走
(完歩)」したばかりの「説教
マラソン
」の情景が蘇り、聴衆に受けた(はずの)「醒睡笑(聞き手の眠気を醒ます笑い話。落語の祖は説教なり)三題」(「パラダイス欧米か」「ソナノカケナイ、ニューヨーク「汝と汝は今ナンジ?」)を披露する羽目に陥る。
          風流雪見露天 
    小斉温泉雪見露天    31日朝、山荘出発。夜来
の新雪を膝まで踏めば「透明ブルー」に輝く。  
 ロープウエイで山麓駅へ下り、タクシーで小斉温泉へ向かう途中の樹林帯は季節外れの春の大冠雪。源泉露天も風流な雪見と洒落る。


       
江戸眩暈二題エピローグ①
 帰路、東京へ戻るNに同道、特急あずさで2時間余、新宿駅頭に愚息を待つ隆章、押寄せる人波に眩暈。   眩暈ティツィア-ノ「美神」
 明けてお江戸は桜花爛漫の四月、父子目指すは上野国立美術館ヴィーナス展」。
 愚息に語るは
トロイ戦争因縁「パリスの審判」故事、ルネサンス巨匠描く三女神随一の『美神』を間近に禮拝すれば、その蠱惑の視線に抗する術なき隆章、不覚再び眩暈。前庭に出て『地獄の門』を仰ぎ去来するは懺悔の念なるべし。                
 
             
旧跡表敬二題エピローグ②
 本郷通りから、「兵どもが夢の跡」安田講堂を表敬訪問すれば、煤けた石壁は攻防戦廃墟の如し。       廃墟然たる講堂入口
(「遅かりし内蔵助!」、隆章幸か不幸か「京の仇を江戸で討つ」籠城叶わずTV観戦)
  愚息「何時の話?」
  隆章「40年前かな」       
 時計の塔も意外に小振り。気乗り薄な愚息にお上りさん宜しく記念写真を撮らせる他に芸無し。        
 気を取り直し、漱石山人への挨拶を欠いては苟も山人の同名が廃ると、塔右手に回り縁の「三四郎池」を散策一周。通りへ出て第一書房を過ぎ、「こころ」の看板を掲げる茶店を見つけ一服、表敬仕上げとする。
 
                            
                  


  平安朝『華麗なる一族』 
     -熊野古道紀行(一)-       

          DSCF0817.JPG        

               龍頭山観音堂天蓋図1

     プロローグー十一面観音紀行ー

    「海青し 山青し 空青し」と紀州出身の佐藤春夫が詠んだ
     半島の重畳(ちょうじょう)たる山塊、その中央部に聳(そび)える
     護摩壇(ごまだん)山系からほぼ真西に伸びる白馬(しらま)
     山脈(やまなみ)は、半島西縁(べり)の狭い海岸線が迫ると、
     低いが入り込んだ谷を刻み、時に急峻な山容を見せる。

 この白馬(しらま)山脈の最西端に、熊野古道難所の一つ、嘗(かつ)て定家も『明月記』に「崔嵬(さいかい)の嶮岨(けんそ)とその険峻な様を記した鹿ヶ瀬
(ししがせ)峠がある。
 南下する熊野古道がこの
峠越えにかかる少し手前の谷間(たにあい)古道に平行する広川の流れが小高い龍頭山(りょうづざん:川の流れを龍身に、台地を龍頭に見立てた卓抜な命名の山号)の崖にぶつかって蛇行する。
DSCF0198.JPG 近年、湾曲部の淵に復活した蛍が舞うのが見られる。
  この山上境内の小堂に十一面観世音菩薩像
(左写真:法量180㎝) 
を祀(まつ)る。
 
最近、この「観音堂縁起
(えんぎ)を『寺だより』であらためて紹介したところ、四十年来の旧友K氏が、「是非息子を連れて拝観したい」と大阪から尋ねて来られた。         
  この息子のT君、我が愚息と同じ   「団塊ジュニア」、所謂
(いわゆる)
龍頭山十一面観世音菩薩像  「ロス・ジェネ」、 つまり現代版「迷える衆生(しゅじょう)世代だが、殊勝なことに仏像彫刻の道を志し、特に十一面観音に関心があるという。
 そこで先ず、秀麗な千手十一面観音で有名な近隣の手眼寺
(しゅげんじ)に案内し、堂守のMさんに御開帳をお願いして拝観し、次いで、当山十一面観音発祥の稲荷(いなり)神社に立ち寄った後、いよいよ、当山自慢の観音様に対面していただいた次第。   手眼寺千手十一面観音像  

            霊泉の験(しるし)ー法皇道心ー     

 抑
(そもそも)当山観音像の濫觴(らんしょう)を尋ねれば、今から880年前、平安時代も後期の大治二(1127)年、時の白河法皇が第十一回熊野御幸(法皇の熊野参詣は、『県聖跡』によれば十二回を数え、この時の一行には鳥羽上皇と中宮待賢門院璋子{たいけんもんいんしょうし}が同道、2月3日に京の都を出発、同27日に帰洛)の途次体調を崩し、この地で休息、一老翁(白狐の化身とされる)が献上した霊泉の水を飲んで回復したので、その返礼に、翌1128年法皇最後の熊野参詣時(法皇没年は1129)、稲荷(いなり)社を建立し(建立奉行は湯浅五郎正宗)、本地仏(当時の神仏習合思想)として十一面観音像
(聖徳太子御作!として崇められたという)
を造立した故事
  白河法皇建立稲荷社(山人拙画)     にある。

       
         平安朝『華麗なる一族』 

 この稲荷社と十一面観音のスポンサーとなった白皇法皇は、ご存じの通り、院政の確立者にして希代のワンマン権力者、いわば平安朝「華麗なる一族」のトップスターで、その奔放さは他に類例を見ず、近頃キムタク&欣也・コンビで高視聴率を稼いだと評判になった平成版「華麗なる一族」もその比ではない。
 例えば、『平家物語』は、法皇が寵愛した「祇園の女御
(にょうご)」を院の侍だった平忠盛に与え、後に清盛となる法皇の子が生まれたという、清盛御落胤(ごらくいん)説を採るが、この白河法皇その人と、熊野参詣に五度同道させた孫の鳥羽上皇、そしてその后(中宮)の待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)の三角関係については、現代人よりはるかに大らかな恋愛観を持っていたという平安人も流石(さすが)に眉を顰
(ひそ)
めたらしい。
 法皇は養女の璋子
(たまこ)を幼い頃から溺愛し、十七歳になった璋子を十五歳の孫、鳥羽天皇の中宮とした後も同居する無軌道ぶりで、生まれた第一皇子は実は法皇の子といわれ、鳥羽天皇も「おじ子(祖父白河の息子だから叔父でもある我が子)」と皮肉に呼んで疎
(うと)
んじたが、皇子が五歳になると法皇は鳥羽に替えて崇徳天皇として即位させてしまう。
 これを恨んだ鳥羽は、法皇が死ぬと今度は「おじ子」崇徳を天皇位から下ろし、外された崇徳はやがて「保元の乱」を起こすが敗北、配流地讃岐で憤死して怨霊伝説の主となる。
 璋子
(たまこ)自身もとかく恋多き女といわれ、今『朝日』連載中の夢枕獏作『宿神』では、璋子(たまこ)への想いを募らせる佐藤義清
(のりきよ:後の西行法師)
を呼び出し密会するという、小説らしく踏み込んだ趣向が記憶に新しい。

    エピローグー兵火・廃佛そして再生

 観音造立から
224年経った1352年、熊野別当蜂起の兵火で社もお堂も焼失し、以後仮堂舎時代が長く続くが、江戸の元和五
(1619)年頃再建(天蓋図1・2)安永三(1774)年に「霊泉寺」の寺号を許される

 明治の「神仏分離
(廃佛棄釈はいぶつきしゃく)令」で霊泉寺は廃寺となり、明治十
(1881)年創立された當村分校(山人母校)の校舎として使用されたが、観音堂と十一面観音像は、明治四十三(1910)
年、當寺境内へ移築され、今日に至る。    観音堂天蓋図2   
 実は、前述の『寺だより』「観音縁起」記事では、「稲荷の観世音」に寄せられている信仰を曇らせるのではとの狭量なる懸念から、上記のような寄進主法皇の行状について触れなかった次第。
 近年のエピソード一題。この観音様が一時姿を隠された、早い話「近頃都に流行
(はや)る」金属窃盗ならぬ、古仏窃盗の憂き目
    
観音堂        に遭われた訳だが、幸い「大慈大悲の観音力」によってであろう、無事御堂に戻られたその御姿を拝見すると、御鼻の一部欠けていた箇所が何故か綺麗に直っていたという後日譚
(ごじつたん)
がある。
 世界遺産熊野古道散策の折、是非御拝観被下
(くだされたく)御待申上候 (隆章山人九拝)
隆章山房へ、ようこそ!
プロフィール
HN:
隆章山人拙画 「吉野西行庵への道」
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/01/05
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