行く者かくの如し
-飯豊(いいで)山登頂記(完)-
秋だ
我らの小舟は動かぬ霧の中を昇りて
悲惨の港に舳先を向け
天空の巨大都市は火と泥に塗(まみ)る
-A.ランボー『地獄の季節』(山人拙訳)-
L'automne.
Notre barque eleve dans les brumes immobiles
tourne vers le port de misere.
la cite enorme au ciel tache de feu et de boue
-A.Rimbaud“Une Saison en Enfer”-
山頂直下雪渓
前号までのあらすじ
06/7/21本格登山ビギナー隆章は山形行夜行
バスに乗り、旧友の山行ベテランK・N二人と合流。
ベース・キャンプを設営後、山男料理を楽しむが、
なぜか緊急コールの予感がする。
陸奥は雨
今夏の陸奥(みちのく:川入キャンプは福島、目指す飯豊山は山形)は雨続き。グルメ夕食後、K・N(ベテラン)と隆章(ビギナー)の三人は翌朝の早立に備え八時過ぎには寝袋に入ったが、すぐ雨粒がテントを叩き始め、屋根を透過した霧状の水滴が顔にかかる。雨の中を登る難儀を思うと隆章は少し気が滅入(めい)る。
翌7月23日午前3時起床、雨は止んで星が見える!ヘッドランプを点けて朝食後テントを畳む。荷物を分担してリュックに詰め(K・Nの配慮で隆章のリュックは缶ビールを入れても一番軽い!)、4時過ぎには出発する。
行く者かくの如し
一番重いリュックを背負いルートを先導するNの後姿には時に修行僧の風情が漂い、隆章の脱落を防ぎつつ殿(しんがり)を守るKは、百名山五十峰踏破の強者(つわもの)。
原生林の登りに喘いでいると、後方からKの「心経(しんぎょう)」が聞こえてくるが、一番軽いはずの荷物が何故か肩から足に応(こた)え始めた隆章に唱和する余裕はない。
ブナ林の湧水は山腹のオアシス、暫(しば)し休息して迸(ほとばし)るマイナスイオンを浴び、ミネラル分も吸収して生き返る。
シジフォスの苦役
左右急峻な剣が峰は、隆章の腰高を危ぶんだNから三点支持法を即席指南されつつ越え、三国山荘前に這い登って昨夜のお握りで昼食。
次の切合小屋は水が豊富だが、目指す主峰は一向に見えず、シジフォスの苦役にも似て折角(せっかく)稼いだ高度を泣く泣く降り又登る尾根が続く。
例年より多い沢の雪渓では冷気が微(ひそ)かに流れ下り、小クレバスの間隙に滑落せぬよう靴先を蹴り込んで進む。
片側が垂直に落ちる御秘所岩場は鎖にすがるが、やっと取り付いたピラミッド状本山斜面は岩の転がるジグザグ道で、隆章の足は歯痒(はがゆ)くも限界寸前、傾斜に比例して頻繁(ひんぱん)に休憩するので殿のKも進むに進めぬ。
残雪の連峰
ついに御前坂を越え、山頂に出る!小屋下にテントを設営、水場で飲み水と雪(ビール冷却用、Nの発案)を確保。
2105mの頂上に立つと、東北屈指の山容を誇る残雪の飯豊連峰が雨上がりの光に輝く。
早朝から実に12時間、高度差1400mを登り終えた(読者諸賢の御推察通り、K・N二人の同行がなければ隆章は途中でギブアップしたに違いない!)そこには穏やかな風景が広がっている。
祝杯、急転の下山行
隆章に「緊急連絡」が入った(麓で不通の携帯が頂上では圏内!)のは、三人がビールで祝杯を上げて間もなくだ。頂上は誰(た)そ彼(か)れ時で、すぐ下山はできぬ相談だ。
そこで、K・N二人が「明朝出立、明日中帰宅」という緊急行動を提案してくれたのだが、この案の唯一の見通しの甘さ、それは隆章の体力とりわけ脚力に対する過大評価だった!
翌日は小雨、KとNに前後を挟まれた隆章が疲労困憊(こんぱい)の極に(山は下りがキツイと肝に銘じよ!)麓にたどり着いたのは午後も3時!
最短ルート(磐越西線山都やまと~会津若松~郡山~東北新幹線~東京~新幹線or飛行機~大阪)でも、その日のうちの帰宅は不可能。
Kの助言に従い、隆章が東京23時発寝台急行「銀河」で新大阪に着いたのは、山頂出発から実に丸一日以上経った25日早朝である。(完)
-飯豊(いいで)山登頂記(完)-
秋だ
我らの小舟は動かぬ霧の中を昇りて
悲惨の港に舳先を向け
天空の巨大都市は火と泥に塗(まみ)る
-A.ランボー『地獄の季節』(山人拙訳)-
L'automne.
Notre barque eleve dans les brumes immobiles
tourne vers le port de misere.
la cite enorme au ciel tache de feu et de boue
-A.Rimbaud“Une Saison en Enfer”-
山頂直下雪渓
前号までのあらすじ
06/7/21本格登山ビギナー隆章は山形行夜行
バスに乗り、旧友の山行ベテランK・N二人と合流。
ベース・キャンプを設営後、山男料理を楽しむが、
なぜか緊急コールの予感がする。
陸奥は雨
今夏の陸奥(みちのく:川入キャンプは福島、目指す飯豊山は山形)は雨続き。グルメ夕食後、K・N(ベテラン)と隆章(ビギナー)の三人は翌朝の早立に備え八時過ぎには寝袋に入ったが、すぐ雨粒がテントを叩き始め、屋根を透過した霧状の水滴が顔にかかる。雨の中を登る難儀を思うと隆章は少し気が滅入(めい)る。
翌7月23日午前3時起床、雨は止んで星が見える!ヘッドランプを点けて朝食後テントを畳む。荷物を分担してリュックに詰め(K・Nの配慮で隆章のリュックは缶ビールを入れても一番軽い!)、4時過ぎには出発する。
行く者かくの如し
一番重いリュックを背負いルートを先導するNの後姿には時に修行僧の風情が漂い、隆章の脱落を防ぎつつ殿(しんがり)を守るKは、百名山五十峰踏破の強者(つわもの)。
原生林の登りに喘いでいると、後方からKの「心経(しんぎょう)」が聞こえてくるが、一番軽いはずの荷物が何故か肩から足に応(こた)え始めた隆章に唱和する余裕はない。
ブナ林の湧水は山腹のオアシス、暫(しば)し休息して迸(ほとばし)るマイナスイオンを浴び、ミネラル分も吸収して生き返る。
シジフォスの苦役
左右急峻な剣が峰は、隆章の腰高を危ぶんだNから三点支持法を即席指南されつつ越え、三国山荘前に這い登って昨夜のお握りで昼食。
次の切合小屋は水が豊富だが、目指す主峰は一向に見えず、シジフォスの苦役にも似て折角(せっかく)稼いだ高度を泣く泣く降り又登る尾根が続く。
例年より多い沢の雪渓では冷気が微(ひそ)かに流れ下り、小クレバスの間隙に滑落せぬよう靴先を蹴り込んで進む。
片側が垂直に落ちる御秘所岩場は鎖にすがるが、やっと取り付いたピラミッド状本山斜面は岩の転がるジグザグ道で、隆章の足は歯痒(はがゆ)くも限界寸前、傾斜に比例して頻繁(ひんぱん)に休憩するので殿のKも進むに進めぬ。
残雪の連峰
ついに御前坂を越え、山頂に出る!小屋下にテントを設営、水場で飲み水と雪(ビール冷却用、Nの発案)を確保。
2105mの頂上に立つと、東北屈指の山容を誇る残雪の飯豊連峰が雨上がりの光に輝く。
早朝から実に12時間、高度差1400mを登り終えた(読者諸賢の御推察通り、K・N二人の同行がなければ隆章は途中でギブアップしたに違いない!)そこには穏やかな風景が広がっている。
祝杯、急転の下山行
隆章に「緊急連絡」が入った(麓で不通の携帯が頂上では圏内!)のは、三人がビールで祝杯を上げて間もなくだ。頂上は誰(た)そ彼(か)れ時で、すぐ下山はできぬ相談だ。
そこで、K・N二人が「明朝出立、明日中帰宅」という緊急行動を提案してくれたのだが、この案の唯一の見通しの甘さ、それは隆章の体力とりわけ脚力に対する過大評価だった!
翌日は小雨、KとNに前後を挟まれた隆章が疲労困憊(こんぱい)の極に(山は下りがキツイと肝に銘じよ!)麓にたどり着いたのは午後も3時!
最短ルート(磐越西線山都やまと~会津若松~郡山~東北新幹線~東京~新幹線or飛行機~大阪)でも、その日のうちの帰宅は不可能。
Kの助言に従い、隆章が東京23時発寝台急行「銀河」で新大阪に着いたのは、山頂出発から実に丸一日以上経った25日早朝である。(完)
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